異名同音と音名の綴り
約 13 分
この節のねらい
鍵盤上の同じ音に複数の名前があるのは記譜の都合ではありません。音名の文字が音度を決めるため、F# と Gb は理論上まったく別の音として扱われます。E# や重変化記号が「実在する必要がある」理由まで踏み込みます。
- 異名同音(同じ高さで別の名前)の例を挙げ、なぜ区別するのかを説明できる
- 音名の文字が音度を決めるという原則を説明できる
- E# や Cb、重変化記号が必要になる具体的な場面を1つ挙げられる
- 異名同音調(F# と Gb など)の関係を説明できる
ピアノの鍵盤で、C と D のあいだの黒鍵を押してみてください。この音の名前は何でしょうか。
答えは2つ以上あります。C を半音上げたと考えれば C#、D を半音下げたと考えれば Db です。同じ鍵盤なのに名前が違う。この関係を異名同音(enharmonic)と呼びます。
初学者がここで抱く自然な疑問は「同じ音なら1つの名前に統一すればいいのに」です。この節では、統一してはいけない理由を扱います。
五線上では別の位置に書かれる
まず事実の確認から。異名同音は五線上の別の位置に書かれます。
前の節で見たとおり、五線上の縦位置は音名の文字だけで決まり、変化記号は位置を変えません。E# は「E の位置に ♯ が付いた音」であって、F の位置には絶対に書かれません。
つまり異名同音は、耳には同じでも目にはまったく違うのです。そしてこの「目の違い」が理論上の意味を持ちます。
耳では同じ、譜面では別
確認: 3つとも同じ高さの音が鳴ります(現代の平均律では完全に同一です)。にもかかわらず、譜面上は F#・Gb という別の綴りで、五線上の位置も違います。「同じ音」でも「同じ音名」ではないことを確かめてください。
F を半音上げた音として書く
文字が音度を決める
区別する理由は音度にあります。
長音階には決定的な性質があります。7つの音が、7つの異なる文字で綴られるということです。C 長調なら C D E F G A B、G 長調なら G A B C D E F、どちらも文字が1つずつ順番に使われて重複がありません。
これは偶然ではなく、長音階の定義に組み込まれた構造です。第1音から第7音まで、音度が1つ上がるごとに文字も1つ進む。だから音度が分かれば文字が決まり、文字が分かれば音度が決まります。
ここから重要な帰結が出ます。嬰ヘ長調(F# major)を考えてみましょう。
第7音を計算すると、鍵盤上では F の位置になります。しかしF と書いてはいけません。第4音がすでに B で… ではなく、第1音が F# なので、F を再び使うと1つの音階の中に F が2回登場してしまいます。第7音は音度として E なので、綴りも E でなければならず、目標の高さに合わせるために ♯ を付けて E# となります。
「E# なんて見たことがない」と思うかもしれませんが、嬰ヘ長調の楽譜には必ず出てきます。実在する音名です。
確認
嬰ヘ長調(F# major)で第7音を F と書くと、何が問題になりますか?
重変化記号が「必要」になる場面
同じ論理をもう一歩進めると、重変化記号(×、♭♭)が必要になる場面が出てきます。
嬰ト短調(G# minor)の和声的短音階を作ってみます。自然的短音階は G# A# B C# D# E F# で、和声的短音階では第7音を半音上げます。
第7音は F# です。これを半音上げると鍵盤上では G の位置になります。しかしG と書けません。第1音が G# だからです。音度として F でなければならないので、F に ♯ を2つ足して F×(Fダブルシャープ)と書きます。
これは記譜のこだわりではなく、和声を正しく分析するための必然です。第7音(導音)が主音へ半音で解決するという構造を保つには、その音が「第7音である」ことが綴りから読み取れる必要があります。G と書いてしまうと、それが第7音なのか第1音の変化形なのか判別できなくなります。
同じ理由で、変ロ短調やその周辺では ♭♭ も現れます。重変化記号は「珍しい飾り」ではなく、音度を保つための必要な道具です。
確認
嬰ト短調(G# minor)の和声的短音階の第7音は?
異名同音調
音1つではなく、調ごと入れ替わることもあります。異名同音調(enharmonic key)です。
| 調 | 調号 | 異名同音の相手 | 相手の調号 |
|---|---|---|---|
| F♯ 長調 | ♯6 | G♭ 長調 | ♭6 |
| C♯ 長調 | ♯7 | D♭ 長調 | ♭5 |
| B 長調 | ♯5 | C♭ 長調 | ♭7 |
鳴る音はすべて同じですが、譜面の見た目はまったく違います。実用では記号が少ないほうを選ぶのが原則で、そのため C♯ 長調(♯7)よりも D♭ 長調(♭5)、C♭ 長調(♭7)よりも B 長調(♯5)が圧倒的によく使われます。
F♯ と G♭ だけは6つずつで同数なので、どちらが有利とも言えません。この場合は前後の調との関係や、演奏楽器の都合で選ばれます。
「同じ音」は歴史的には正しくなかった
最後に補足を1つ。「F# と Gb は同じ音」というのは、平均律という調律法を前提にした話です。
12の半音を完全に等分する平均律は、鍵盤楽器で全部の調を実用的に弾けるようにするための妥協として広まりました。それ以前の調律法(純正律や中全音律)では、F# と Gb は実際に高さが違う音でした。異名同音を区別する記譜法は、その時代の実態を反映しています。
つまり異名同音の区別は、記譜の形式主義ではなく歴史的には音響的な実体があった区別です。現代の平均律ではその差が消えましたが、和声の機能を書き表す道具としての価値は残りました。
嬰ヘ長調の音階を鳴らして E# を確かめる スケール辞典で F# メジャーを選ぶと、第7音が E# と表示されます。鍵盤上では F の位置が光ることも同時に確認できます スケール(音階)辞典 → 五度圏で異名同音調の位置を見る 五度圏の下側(6時の方向)でシャープ系とフラット系が出会います。ここが異名同音調が生まれる場所です 五度圏(サークル・オブ・フィフス) →これで記譜の道具立てが揃いました。次のユニットからは、この記譜を使って音と音の関係を測っていきます。最初は2音の距離、つまり音程です。
練習問題
答えは理論エンジンで検算しています。まず自分で解いてから採点してください。
- 1
嬰ヘ長調(F# major)の音階を、正しい綴りで下から7音並べてください。半角スペース区切りで答えてください。
- 2
嬰ヘ長調(F# major)と変ト長調(Gb major)は、鳴る音がすべて同じです。楽譜上の違いは何ですか。
- 3
嬰ト短調(G# minor)の和声的短音階の第7音は何ですか。
- 4
五線上で、E# と F は同じ位置に書かれますか。
- 5
変ハ長調(Cb major)の主音 Cb は、鍵盤上ではどの音と同じですか。
到達確認
次に進む前に、上の項目を自分の言葉で説明できるか確かめてください。
出典・参考
- Enharmonic equivalence — Wikipedia — 平均律において異なる綴りが同じ音高になるという定義、および歴史的に音高が一致しなかった調律法について